緑茂流(みどりしげる)の仕事場は今日も修羅場だ。例えるならば、アンジェリーな愛人といるところに包丁を構えた妻が乗り込んできて、さらに別のカトリーな愛人がガソリンとライターを手に「あなたを殺してあたしも死ぬ」と喚いているような。それくらい修羅場だ。例えがやけに詳細なことについては追求しなくてもよろしい。「あたしたちのうち誰を選ぶの」って、こいつらは何もわかっちゃいない。アンジェリーナの賞味期限はあと一年くらいだし、カトリーナはあと五年もすれば大人の女になってしまう。女房に関してはその、まあ、何だ。ごめん。
ともかくそのような修羅場は茂流の仕事場では日常茶飯事であり、朝食前の軽い食事であった。
今日も茂流は三つのペンネームを使い分け、四つの執筆を抱えていた。キーボードの上を八本の触手が滑るように動く。それは地球人のスピードを凌駕していたが、それでも有限なる時間は茂流に凶悪なゾーンプレスをかけ続けていた。これが漫画家の仕事場であれば、アシスタントたちが飛び回る慌ただしい状態になるのであろうが、オンライン小説家は孤独な作業。部屋にはただ机と椅子とパソコンだけがあり、ただキーボードの音が響くのみだ。
「相変わらず無駄なあがきをしているようだね、茂流くん」
突如部屋のドアが開き、スマートな男性が入室してきた。ただし地球人男性に見えたのは首から下だけで、その上には銀縁眼鏡をかけた雑種犬の頭部が乗っていた。
「青戸油犬(あおとあぶらいぬ)!」
青戸油犬は茂流と同じくオンライン小説家を生業としている。その芸術性とファンタジー溢れる文体は多くのファンの心を掴んでおり、得に女性ファンが多いように見受けられるのが茂流にとっては妬ましかった。また自らも様々な企画やコミュニティを主催し、まさに今ノリに乗っているオンライン作家だった。
「何の用だ。締め切りに苦しむ姿を笑いに来たのか」
「ふ。オンライン作家にとって締め切りなどあってなきのごとし。たとえ間に合わなかったとして、傷つくのは己の誇り、それだけだ」
「だがそれが大事だ。それを失ったとき、俺たちは、書けなくなる」
「それがわかっているならいい」
オンライン作家の活動における集大成は様々な企画への投稿にあるといってもいい。出版社などの後ろ盾を母体としないオンライン作家の集団にはいわゆる文学賞などは存在しないが、各々のコミュニティで開催される企画やコンテストが抱負だ。もしもネットの海をすべて閲覧することが可能であれば、一年三百六十五日、必ずどこかのコミュニティで何らかの企画かコンテストが営まれているといってよい。
そしてそれらの企画やコンテストに参加することは、オンライン作家にとっては自らの存在をアピールする絶好の機会であり、コミュニティを拡大するための必須活動でもあるのだ。
余談であるが、茂流自身も自らでコンテストや企画を開催したことが何度かある。幸いにもそれらは概ね成功したといってよい趣で終幕したのであるが、それらの経験から、企画の成り立ちには二種類があると茂流は考えている。
それは、前々から企画をやろうと考え、準備して開催されたものと、掲示板その他コミュニティ内で話題が盛り上がり、いやむしろ炎上した際に、企画にするつもりのなかったモノがいつの間にやら大きな祭りへと発展したもの。そしてうちの場合は後者の方が明らかに多いような気がするのだがこれはなぜなんだろうか。誰か教えてください。
「しかし近頃俺は思うのだ。こうしてあちこちの企画やコンテストに参加することは、本当にそれほど大事なのか、と」
「ふ。締め切りに間に合わないいいわけかね」
「それもある! が……それだけではない。無理をして企画やコンテストに参加することに意義があるのか否か、もう一度疑問を投げかけたいのだ」
青戸は前髪を気障に掻き上げた。
「茂流くん。君はオンライン作家になって何年になる?」
「む……。かれこれ五年ほどになるが」
「ふむ。ならば五年後の今、君がこうして厚顔無恥にもサイトを運営し続けられているのもそれらの企画やイベントがあったからではないのか!」
異議あり! と声がする如くに青戸が茂流に指を突きつける。茂流は完全に沈黙した。
「よくわかったろう茂流くん。君がそのような戯れ言を吐く立場にはないことに」
主導権を取り戻そうと茂流がパソコンデスクを叩く。デスクに置いてあった電気店のマスコットが描かれたマグカップが跳ねた。
「しかし! 元来オンライン小説とは、己のために紡ぎ出すもの! 己のために綴るものだ! それをイベントやコミュニティのために書くとは……これは本末転倒ではないのか!」
「甘い!
御○林研究所に一年以上入り浸りながら『あたくしはこのような下品な緑色とはまったく無関係なセレブですのよヲホホホホ』とか宣って通用すると思っているくらい甘いぞ茂流くん!」
「うむ。その例えに、例えようのない悪意を感じるんだがな。青戸」
どちらがともなく、咳払いをした。
「ともかくだ、茂流くん。オンライン小説は己のために綴るもの。それはいい。だが、それを読んでくれるものがいなくてはどうする?」
「……どういうことだ?」
「本当に己のためだけならば、ノートにでも書きつけて一生秘めておけばいい。オンラインで小説を公開するというのはそういうことじゃない。誰かに存在を知って欲しい。誰かにこれを見て欲しい。そう思っているからだ!」
「た、確かに! しかし、それがいったい何の関係が……」
「まだわからないのかね茂流くん。企画やコンテストはただの発表の場ではない。参加することにより己の世界を広げ、同好の士、己とセンスやフィーリングの合うものとの出会いを得る。それこそが本当の、企画やコンテストの意義なのだ」
「なるほど。企画やコンテストサイトはいわゆる出会い系サイトだったのだな!」
「最大限悪意を込めて表現するならそういうことだ! だがそれは大切なことだ! ウサギが一羽では寂しくて死んでしまうように、オンライン小説家も一人では長生きはできない。オンライン小説家がオンライン小説家であるためには、読者が必要なのだ」
「そして、その読者を得ることができる、チャンスの場が……」
「企画やコンテストというわけだ」
青戸が画面の方に向き直った。
「だからもしもこれを読んでいる君。君がオンライン小説家であるならば。企画やコンテストに参加することを恐れてはいけない。多くの他者の目に晒されることに怯えてはいけない。興味を抱いたならば、勇気を持って一歩を踏み出そう。それは、新たな世界へと繋がる扉かもしれないのだ」
「我々はいつだって、新たな風が扉の向こう側から飛び込んでくることを待っている!」
「君よ!」
「きたれ!」
仕事場のドアが大きく開かれる。その向こう側は、目映いばかりの緑色の光に包まれていた。
オンライン小説界は、今日もアツく萌えている。
テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
- 2006/11/14(火) 23:41:04|
- 島本林彦
-
| トラックバック:1
-
| コメント:6
はじめまして。通りすがりのド素人でございます。
今日初めてホームにお邪魔し拝読させていただきました。
私のようなズブにも解り易く、大変面白かったです。
続けて遡って3作品ほど読み耽ってしまいました。
また覗きに来たいと思います。
- 2006/11/17(金) 17:05:01 |
- URL |
- クミチョウ #-
- [ 編集]
島本先生こんばんは、出会い系……げふげふ投稿サイトの締め切りにかまけて自サイトの更新をしていない虫です。緑色ではありません。
漫画家は地味だと嘆く漫画家先生もいらっしゃいましたが、考えてみれば確かにオンライン作家の方が地味ですな。インク乱れ飛びトーンの欠片が吹雪く事もありませんし。
尻を叩かれないと何もしない怠惰な某へたれ作家などもおりますので、締め切りを設けてみるのも手かなと思いますです。とほほ。
- 2006/11/17(金) 23:43:16 |
- URL |
- 井上斑猫 #30YJqiFE
- [ 編集]
島本先生こんばんは、これは何の陰謀ですかw
というか、なぜ青戸クンが銀縁眼鏡の設定なのか謎ですw
オンライン作家は地味でなんぼです。しかしそれが熟成されると滋味になります。うまいこと言ったよ、あれ、今うまいこと言ったよ。
- 2006/11/19(日) 00:47:35 |
- URL |
- 青戸油犬 #amXlFcx2
- [ 編集]
島本先生、こんにちは。
うーん凄い。
メタであり、ベタであり、ネタか?
それはともかく、激しく共感しました。
創作の道の福音。
迷ったときは、これを見ろ!
という熱い気概を感じました。
なお、雑種犬の頭部に銀縁眼鏡をかけ、前髪を気障に掻き上げる、スマートな青戸先生のイメージ、しかとこの頭にたたき込みました。
これから、もし街ですれ違ったとしても、おそらく見逃すことはないと思います。
- 2006/11/19(日) 11:13:54 |
- URL |
- 那崎 #jonarjIw
- [ 編集]
クミチョウさん、こんにちは。ようこそ緑乃帝國へ。
色々な意味で他では読めない作品を集められたオンライン文芸誌であると自負しております。もしも緑に触れられ、緑の虜になられたのであれば嬉しく思います。
井上斑猫さん、こんにちは。
わたくしも時には締め切りが必要だと思う派です。うん。やっぱりね。自分一人だけの力だと量産体制にも限度があるんですよね。でも間に合わなかったときは悔しい。
青戸油犬さん、こんにちは。
島本先生からお言葉をいただいて参りました。
「その、まあ、何だ。ごめん」
「君の外見に関しては……私の個人的な趣味だ!」
「決して……決して犬祭りに間に合わなかったことの意趣返しではないが……無意識層のどこかには少しはあったかもしれない!」
「当作品はあくまでフィクションであり! 実在の団体や! 人物や! ハンドルネームや! 事象や! 作者の性的嗜好とは! 一切関係がない! そういうことにしておいてくれたまえ!」
とのことです。
那崎さん、こんにちは。
アマチュアとはいえ創作に関わるものの心情のある一面をついている作品であったことは疑い得ないような気がします。余談ですが、某青戸先生ってこんなイメージですよね? ですよね?
皆様コメントありがとうございます。
- 2006/11/21(火) 19:37:12 |
- URL |
- 茶林小一 #-
- [ 編集]
【デジ社共同】「緑のオンライン文芸誌」でお馴染みの「緑乃帝國」(編集人・茶林小一氏)に14日、6人目となる新人?作家・島本林彦氏が作品を発表した。「吠えよ打鍵」と題した炎燃ゆるような作品に、「そうなんですよ、理想を現実にすり寄せるのは、発展がないんです
- 2006/11/16(木) 18:58:37 |
- カフェ・ノワール