緑乃帝國 緑のオンライン文芸誌

世界の緑化を推進するウェブログ形態のオンライン文芸誌

切り裂きジャッキィ

 今度こそ追いつめた、と思った。
 日の当たらない、狭い袋小路である。高い壁を背にして、ヤツは立っている。逃げ場はない。
 周囲には何もない。これも重要だった。ヤツを追い込むことを見越して綺麗に掃除しておいたのだ。
 小道具を用いたヤツのアクションには定評がある。道々に転がる棒きれや樽、店先の鍋や果物、テーブルなど、そこに何かがあればヤツはそれを利用し、飛び、跨ぎ、武器にして見事に逃げ去ってしまう。それは芸術的であるとさえ言えた。顔だけでいえばユン・ピョウの方が人気が出たろう。だがヤツは肉体で魅せたのだ。
 個人的に惹きつけられるものがあるのは否定しない。だがヤツは犯罪者なのだ。何としてでも捕らえねばならない。それに私はサモ・ハン・キンポー派だった。燃えよデブゴン。
 号令を掛ける。捕り手たちが一斉に飛びかかる。ヤツは手にした青龍刀で応戦するが、多勢に無勢だ。最早逃げる術はない。
 そう、思っていた。
 ヤツの身体が宙を舞った。人としてあり得ない跳躍力だった。隣の家の屋根へ音もなく着地した。
「ワイヤーアクションは、使わないはずじゃなかったのか!」
 私は叫んだ。心からの叫びだった。
 それだけは。それだけは、して欲しくなかった。他の誰が使おうとも。ヤツにだけは、使って欲しくなかった。
 信じていたのだ。ヤツの芸術的なまでのアクションがいつまでも見られる、と。私は勝手に、信じていたのだ。
 寄る年波には勝てなくてね。そう答えるとヤツは、高笑いを残して屋根の向こうへ消えていった。

  1. 2009/06/30(火) 17:04:28|
  2. 茶林小一
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バブルダイバー DIVE:10 可愛い巻き毛(クドリャフカ)

 継ぎ接ぎの街(インスマウス)の港は大きい。
 最高峰といわれていた山脈の、僅かに残された登頂部を利用して建設された街は面積にして二十万平方メートル。大きめの島国といったところだろうか。その北岸七十キロメートルが港湾施設になっている。
 潜行者たちが操る艦艇の多くは千五百トンから二千トン級。こんごうもこの等級に入る。津波の後に残った船舶で最も多かったのがこの大きさだ。また、海中から引き揚げる際にも、これくらいのまでの大きさが限界だった。それが現在の技術水準だった。
 巨大港の三番デッキにこんごうは錨泊していた。テツローたちがこんごうの全景を見られる機会はそうはない。自分たちが乗り込んでいるのだから当然だ。その姿はなかなかに雄大で、テツローはいつも惹きつけられる。
 そのこんごうに珍しい光景があった。いつもは部屋に閉じ籠もりっぱなしのお医者先生(ドク)が、甲板に出て、トーゴーと話し込んでいる。アンダーシャツの上に汚れた白衣、丸いサングラス、頭の上には麦藁帽と、いつものごとく統一感のない出で立ちだ。遠目にも十分怪しい、と改めてテツローは思った。
電導二輪車(エレキバイク)を横付けする。トーゴーもすぐに気付いた。
「遅かったな、お二人さん」
「……どういうこと?」
トーゴーが甲板の奥に右手で合図する。見覚えのある顔が隣に並んだ。
「やあ」
 女だった。だが、知っていなければ一目でそうだとは気付けなかっただろう。ナイ以上に乱れて爆発した巻き髪の下から日焼けと油で真っ黒になった顔が覗いている。顔と同様に油にまみれている、オーバーオールの隆起した胸元だけが、女であることを主張していた。
「確か箱舟(ノア)の……」
「アマツカ。アンタらが出た後に追いかけたんやけど。こっちの方が早かったみたいやね」
トーゴーの言は、つまりはそういう意味らしい。気付いたナイがテツローの背中で恥ずかしそうに縮こまった。
 正統派(オックスブリッジ)が主流の二足歩行重機開発スタッフ陣の中においてアマツカの訛りは異質だった。だからテツローも意識に、というか耳に残っている。それに、大陸系と北方系と、角度によって印象の変わる、明らかに二つ以上の血が混じっていると思われる顔立ち。アマツカという女性の背景の複雑さを想像させた。
 当の本人はというとそんなことを気にするわけではなく。今でも方言(スラング)だらけの言葉を使い続けている。言葉なんか通じればええねん、というのが彼女の持論、だそうだ。
 テツローはコンテナに二輪車を収納すると、架橋された屑鉄製の階段(タラップ)をナイと共に上がった。甲板には三つの影。
「……で?」
「時間がないから大筋だけ。箱舟(ウチ)の船が海賊に襲われてるねん。それで、助けてくれる船を募ってる。ミスター・トーゴー、快く承知してくれてな。今から一緒に出発するところや」
 テツローはトーゴーを見る。トーゴーは小さく頷いた。
「他人事じゃねえからな。叩けるんなら、早いうちに叩いておいた方がいい」
「休暇(バカンス)は?」
「積み荷に、テツロー博士ご希望の品が含まれているらしい。沈んだら長い休暇(バカンス)が楽しめますぜ、博士(プロフェッサー)」
「……世知辛いなあ」
 テツローの肩をお医者先生(ドク)が叩いた。
「中身が変わるだけよ。この世で生きること、これすべてが休暇(バカンス)ね」
「……修行じゃなかったっけ? 哲学者様(シッダールタ)の教えでは」
「一度に修行と休暇(バカンス)。これが何と言ったか……そう、一石二鳥(ダブル・スタンダード)ね」
 快楽主義者(ドク)にとってはそうなんだろう。
「じゃあまた後で」
 アマツカが階段(タラップ)を駆け下りていく。テツローは後ろ姿を見送ってから、お医者先生(ドク)の方を向いた。
「……で。何で引き籠もり(ドク)が外に?」
「今回三隻で連携するらしくてねェ。色々試せそうだから」
 楽しそうな笑みを浮かべているのを見て、テツローは溜息をついた。お医者先生(ドク)の技術はテツローも認めるところだが、いつも実験的なことに手を出すので、安定性に乏しい。こういう表情をしているときは、特に危険だ。
「今度は何を」
「後のお楽しみね」
 手をひらひら振ると、船底に続く扉へと歩いていった。
「こちらもせいぜい楽しむとするか」
「どうやって?」
「心の持ちよう次第さ」
 テツローも、トーゴーと連れ立って歩き出した。その後をナイが小走りで追いかけてきた。

 十五分後には三隻の艦艇が舳先を並べていた。
 こんごうを中心に、右側に箱舟(ノア)の印章(マーキング)が施された輸送船、左側にこんごうより一回り小さい高速艇が併走している。高速艇は切り込み隊長(ストライクヘッド)という名の潜行者集団(ダイバーチーム)だった。
 テツローはお医者先生(ドク)と一緒に機関室にいた。整備の済んでいないくろしおとしらなみは出撃できない。あおなぎ一機が甲板に降着し、海流の息吹(ドラゴンブレス)を構えている。今回はもちろん装弾してあるし、正規の搭乗者(パイロット)が乗り込んでいる。
 だからテツローの仕事は、お医者先生(ドク)の手伝いだった。鼻歌混じりで配電盤を弄るお医者先生(ドク)の隣で、半田鏝とニッパーを握っていた。
「これでどうだろうねェ」
 ひびの入った十四インチの液晶画面に白黒の砂嵐が映る。暫くすると青一色に変化した。
「映像化(モニタリング)できるの? どうやって?」
 お医者先生(ドク)は真上を指さした。
「神の目、まだ生きてるよ。監視者(ウォッチャーズ)がいないだけね」
「でもあっちは」
 言いかけて、止めた。切り込み隊長(ストライクヘッド)はともかく、箱舟(ノア)は技術者集団なのだ。
「一隻だけでも通信できれば、便利でしョ」
「肝心なときに切れなきゃね」
「それも神の思し召し」
 画面が切り替わった。女が映っている。日焼けした肌はそのままだが、汚れは洗い落とされ、唇には薄く紅(ルージュ)が引かれている。どうやら生来のものらしい巻き髪は纏められ、高い位置から後ろへ垂らされている。オーバーオールが迷彩服に変わっていたが、その姿はどこから見ても女の姿だった。
「……化けるねえ」
「ヤマトナデシコ。七変化よ」
「ナデシコの血は入ってません。たぶん。どこで覚えて来るんだよそういうの。それよりあちらさん、カメラに気付いてないみたいだけど」
「そりゃそうね。知らせてないもの」
「……これ、盗撮?」
「全長一センチの最高級品。最後の一つね。こういうの好きでしョ、覗き屋さん(トム)」
「時と場合と相手による! 何でいつも、こういうトコに無駄な機材と情熱を……」
「私に技術があって、ココに道具もある。つまり、神の思し召しヨ」
「一度その神様に会わせてくれ、お医者先生(ドク)。直接文句を言ってやる」
 鼻歌混じりに作業を続ける変質者(ドク)に背を向け、テツローは液晶と通信機を抱え込んだ。とにかく終わってから事情を説明して、機材を回収しないと。
「ハロー。聞こえてる?」
 画面の向こうに変化があった。
「やあ、テツロー。通信状況は良好。あんたんとこ、凄い人材抱えてるなあ」
「色々な意味でね」
「切り込み隊長(ストライクヘッド)とも連絡は取れてる。防御力の高いうちらが前面に立つから、打撃力の高いこんごうと機動性の高い切り込み隊長(ストライクヘッド)で、うちの輸送船と海賊の船を引き離して欲しいねん」
「横撃すればいいんだな」
「そうやね。着繰身(シェラフ)が出てくる前に片付けたい」
「同感だ。通信終了(オーヴァー)」
 画面の向こうでアマツカがあちらこちらへ指示を飛ばす。その姿は勇ましいが、本意ではないだろう。これまでとは違う新しい世界を。箱舟(ノア)にいつものたちは皆、そういった想いを胸に秘めて、持てる力のすべてを復興のために注いでいる。
 進む道を違えはしても、テツローだって胸に秘めているの想いは同じだ。
 機関室の扉が乱暴に開けられた。褐色肌の女闘士が短機関銃を提げた格好で、荒々しく踏み込んでくる。
「影が見えた。海賊船に見覚えがある。あれは……クラーケンだ」
 お医者先生(ドク)がキーボードを軽やかに叩く。液晶画面が切り替わった。こんごう、箱舟(ノア)、切り込み隊長(ストライクヘッド)の真上からの船影。映像が上方にスライドしていく。その先に映る、新たな二隻の船影。
 衛星の目を傍受(ハッキング)した映像は荒く不鮮明だ。だがそれでも、テツローとドーリンにははっきりわかった。潜行者集団(シュワルツェン)がどういう運命を辿ったかを。
「くろしおとしらなみを出すよ。整備がどうとか言っている場合じゃない。全力でかからなきゃ、こっちがやられる」
 テツローは頷いた。
「お医者先生(ドク)、ちょっと行ってくる」
「あい。がんばってね」
 右手で液晶を受け取り、空いた左手を空中で握ったり開いたりしていた。
 後ろで機関室の扉が閉まる。テツローはアマツカの姿を思い浮かべていた。
 可愛い巻き毛ちゃん(クドリャフカ)を吼え猛る者(ライカ)に変えてしまうような。そんなことがない世界をつくろうとしているんじゃないのか。間違いを二度と起こさない。生き残った者たちは、そう心に誓ったんじゃないのか。
「早いとこ片をつけよう、姉御」
「当然だろ。休暇(バカンス)が待っているんだ」
 言わなくてもわかる。こんごうにいる者。箱舟(ノア)にいる者。おそらく切り込み隊長(ストライクヘッド)の乗員(メンバー)だって。
 これは、新しい世界をつくるための戦いだ。その第一歩だ。

 ドライスーツを着込んだドーリンとテツローが、並んで格納庫へ向かって歩いて行く。影だけが、決意を秘めた背中を追いかけてゆく。

  1. 2009/06/02(火) 17:23:15|
  2. 茶林小一【バブルダイバー】
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スカイマーカー

 風が強く吹いている。翔ぶのに最適とは言い難い環境だ。強風に凪がれてアルファは僅かに顔を顰めた。
 進行方向斜め前でブラヴォーが合図(ゴー)を送っている。アルファは操縦席から親指で合図(ラジャー)を返した。
 ヘルメットから通信(コールサイン)。
「歴史的瞬間だ。後世のために、何か名言でも残しておいちゃどうだ」
「一九九X年、世界は核の炎に包まれた」
「あん?」
「昔、そんな物語があった。しかも、沢山」
「ああ」
 だが今じゃもう、古びたSFだ。陽気なブラヴォーの声。それから通信終了(オーヴァー)。
 そうだろうか。通信の切れた操縦席で一人呟いた。
 そんなお伽噺があったから、望まない未来を回避しようと努力した。その言葉があったから、今を変えようと努めた。
 表出することはない。だがそれを成した者が、きっといる。世界が続いていること。そのために戦った者たちが、きっといる。
 翼も。想像力も。それは羽ばたかせるためにある。
 発動機が回転数を上げる。アルファは風防を展開した。
「よい旅を(グッドラック)」
 暴力的なG。銀色の浮遊機(フライヤ)が甲板から切り離される。畳まれていた両翼を力強く伸ばす。蒼く澄んだ空に、一筋の曳航線。
 未来へ向けて今、巨鳥が飛び立った。

  1. 2009/05/27(水) 00:32:34|
  2. 茶林小一
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おしゃぶり

 街の至る所で女性がおしゃぶりしているのを見かける。
 井戸端何とか、というヤツである。今にはじまったことではない。今日では井戸が残っているところは少ないが、逢う坂という地名に違わず、起伏の激しい道の上った先、下った先には必ずといっていいほど数人の女性が集まり、おしゃぶりをしている。これが日常の風景である。
 だが問題視されている事態もある。近年、特に若い女性の、マナーの欠如が叫ばれている。例えば、少し路地に入ってみると、若い女性が男性の前に座り込んでおしゃぶりしている姿を見かけることがある。公共の場であるにも関わらず、まるで自宅にでもいるような行為に及ぶ姿は、確かに目に余るものがある。
 とはいえ、この地方の人々は旧来よりおしゃぶり好きである。このような行為に対し、比較的寛容な傾向にある。公共マナーがなかなか育たないのは、そういった点にも原因があるといえるだろう。
 ふと婦人たちの集まりに目をやると、ベビーカーの中にいる幼児たちも皆おしゃべりをしていた。よいところは残しつつ、マナーの向上を目指せるならば、この土地はもっと住みよい場所になるのではないか。そう思いを馳せつつ私はこの地を後にした。
  1. 2009/04/14(火) 12:06:42|
  2. 茶林小一
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キャバクラ忍法帖 下

 雪の中から立ち上がった須狩が見たのは、両腕を血塗れにしたブリトニーだった。
「酷い格好だぜ、須狩」
「あなただってそうだわ、ブリトニー」
「この手じゃセットも直せない。嫌になっちゃうぜ」
「こんな時でも変わらないわね、あなたは」
 粉雪の向こう側、『くのいち』に目を向ける。雪の中を卜部流緋袴装束の女が近付いてくる。
「ほう。六乳が二人も揃っておるとは、好都合。纏めて井戸の底へ叩き落としてくれようぞ」
 影使い巳舟千鶴子の足下から、蛇のように影が伸びる。
「アンタの相手はマチルダがしていたはずだ。アイツはどうした」
「この女のことかえ?」
 影の中から人の形をしたものがずるりと姿を見せる。ブルネットと、白いシルクドレスに見覚えがあった。
「我が槍どもよ(ブリトニー・スピアーズ)!」
 次元歪曲道を通り十二世紀フランスより呼び寄せられた一千本の聖槍が千鶴子を襲う。が、それらの槍はすべて影の中に吸い込まれた。
「ちっ! 厄介な力だ」
 両手を突き出し、今一度召還を試みる。が、その前に須狩が立ち塞がった。
「あなたには相性が悪い相手よ、ブリトニー。ここは引き受ける。行って」
 視線を交わす。ブリトニーは一つ頷きを交わした。
 銀世界をピンクのドレスが走り去って行く。須狩は瞼を閉じ、両手を上へ突き上げる。
 掌を大きく開く。何かを受信するように。
「今のは確か、千本槍のブリトニー。主ら六乳で一番の実力者と噂の女よな。主一人で、相手をする気かえ?」
 須狩は答えない。ただ瞳を閉じている。
「まあよい。去ね」
 黒き蛇が飛びかかった。
 蛇が噛み付こうとする、その瞬間。
 須狩の目が開いた。瞳の中に、ゼロと一とが並んでいる。
 紙一枚の距離を残して、影の蛇が霧散する。その向こう側で、巳舟千鶴子が倒れ伏した。
 何が起こったのか、千鶴子はわからなかったろう。須狩によりハッキングされた米国の軍事衛星は、島国の一角、緋袴装束の女に狙点を定め、対ICBM用高収束レーザー砲を発射した。まさに、一瞬の出来事であった。
 須狩は二度ほど頭を振り、ふらつきながら、『くのいち』へ向かって歩き始めた。

 ブリトニーが辿り着いた玄関ホールは、すでに地獄だった。
 引き千切られ、人としての躰を成さなくなった死体があちこちに転がっている。壁際には、絶えることなく笑い声を挙げている黒子や、頭を抱えて震えている黒子がいる。
 中央には、黄金色に輝くドレスを纏ったレディ・ヴィクトリアが艶然と佇んでいた。ドレスの内側からはおびただしい数の触手が伸びている。それらの触手の幾つかが越南三姉妹の長女を締め上げ、次女を半裸に剥いて陵辱していた。
 姉たちを助けようと三女が狼牙棒を振るう。並の人間であれば頭蓋骨を粉砕する膂力で振るわれたそれを、触手は軽々と弾き返した。
「ほほほ……。人の身で神の身体を傷つけようなどと。愚かなことですわぁ」
 ブリトニーは奥歯を噛みしめた。六人衆の力を甘く見ていたわけではない。が、古の邪神という神クラスの力まで行使する者がいるとは。
「醜悪なモン呼び出しやがって……。どいてな、チビッ子」
 三女に変わってブリトニーが立ちはだかる。だが、ヴィクトリアの笑みは消えない。
「誰が来ようと同じこと。人の力で、神を倒すなんて。おこがましいことですわぁ」
「人の力ならな」
 ブリトニーが両手を突き出す。次元に割れ目が開く。が、今度は槍が飛び出さない。
 ブリトニーは両手を突きだし続ける。両目が充血を始める。身体中の毛細血管が、切れているのだ。
「来やがれ、神殺しの槍(ロンギヌス)」
 紀元のはじまりより召還されたただ一本の槍が裂け目より飛び出す。
「くたばりやがれ!」
 ただ一本の槍が、不可侵の身体を深々と貫いた。
「バカ……な……」
 触手がずるずるとドレスの中へと引っ込んで行く。盛装の麗人は、足下から崩れ落ちた。
「見事ですわ……。ですが、一人では死にません。さあ、皆様も共に、海の底へ……」
 床が急激に柔らかくなる。倒れている黒子たちが床下へと沈み込んでゆく。三姉妹も、ブリトニーも、すでに動けるだけの体力は残っていなかった。
 玄関ホールには、そして誰もいなくなった。

 店の奥から紅蓮の炎が伝える熱気が吹き付ける。カウンターやボックス席のかしこでも、争いの音が起こり、中央ホールではそれらが一体となり轟音を形成していた。店の外でも争いは行われているようだ。ときどき衝撃と共に破砕音が伝わってくる。
「なかなかやるじゃないか。六乳とやらも」
「現時点では妾らの方が優勢のようじゃのう。どうするえ?」
「そいつは認めよう。だが、関係ないね。あたしらが死ぬか。あんたらが死ぬか。二つに一つだ」
「そうじゃのう。これもよい機会じゃ。決着をつけてしまうとするかのう」
 元禄小袖と漆黒のロングドレスが睨み合う。かぐ弥の両手に鉄扇が広がった。お暮も金剛棒を担ぎ上げ、左手の中指で挑発する。
「伽羽忍軍小頭、奈与竹かぐ弥。参る」
「寒座忍軍棟梁、お暮。遊んでやるよ」
 お暮が突進し、金剛棒を振るう。かぐ弥は両鉄扇で辛うじて受け止めた。振り払うようにして二撃、三撃。かぐ弥は受け、いなし、紙一重で避けてゆく。
「どうした。その程度かい?」
「ほほ。焦らずとも、夜は長いのじゃ。ゆっくり楽しもうではないか」
「楽しませて貰うさ。十二分にな!」
 中央ホールに足音が響いた。
「小頭!」
「棟梁!」
 六乳の由紀恵、須狩。そして六人衆のお七が中央ホールに駆けつけてきた。双方の生き残りが一堂に会したのだ。
「やるか」
「そうじゃな」
 炎が上がる。それを突っ切ってお暮が仕掛ける。かぐ弥が鉄扇で受け止める。
 由紀恵が宙を舞った。空気を蹴り、天上へ到達する。ジョリー天使の術を模倣したものだ。天井に空気弾をぶつける。白粉降りしきる空が露出した。
 須狩が瞳を閉じる。両手を天に伸ばす。掌を、大きく広げる。
 何か来る。そう感じたお七は物陰に身を隠した。
 レーザー光線が衛生軌道上から降り注ぐ。隠れたお七を狙えない攻撃衛星は、お暮を集中して砲撃する。お暮は身体中を穴だらけにして、死に至るはずだった。だが。
「無駄だよ」
 高収束されたはずの光線は、お暮の肌に触れると同時に拡散消滅した。
「だったら!」
 空中から由紀恵が血液の矢を撃ち込む。だがそれも、お暮に触れるや霧散した。
「無駄だと言ってるだろう?」
 須狩の目前にお暮が迫っていた。防御を無視した構え。一閃、下半身だけをその場に残して、須狩の上半身が宙に舞った。
 寒座お暮は生まれ落ちた瞬間より、すでに威圧感を放っていた。
 凶暴性といってもよい。見る者すべてを恐怖させ、怯え従わせる力を、お暮は持っていた。
 力の方向性は、人間だけに限らなかった。様々な動物を含め、植物、さらには土や風や火や水など、地球上に存在するすべての原子構造がお暮という存在を畏怖し、付き従うようにプログラムされていた。
 詰まるところ。地球という惑星自体がお暮という一人の女に恐怖し、脅され膝を屈したのであった。
 地球上に存在するもの、地球から派生したものでお暮を傷つけることは敵わない。この絶対的防御こそがお暮の能力であり、また存在意義そのものでもあった。生まれながらの女帝。それが寒座お暮という女であった。
 弊害もあった。夜の女であるにも関わらず、お暮は生娘である。これまで数百人の男を、お暮は喰らってきた。だが誰一人として。男たちがこの星で生まれた存在である限り。お暮の処女膜を破ること敵わず。望まざる鉄の女を通すことと相成った。
 このままでは、寒座の棟梁であるにも関わらず、お暮は子を成すことも敵わず、また一生女の悦びを知ることも敵わない。力を弱め、統制することはお暮にとって大きな命題であった。
 だがその力が一党を従え、今こうして強大な力を持つ伽羽一族と相対することを可能にしている。皮肉な現実であった。
「そしてテメエらは、今日ここで肉塊に変わる。これもまた現実さ!」
 腰を落とした構えから、金剛棒を振るう。音速を超えた先端から発した真空波が宙にいる由紀恵に迫り、首から上を切断した。胴体が、次いで頭部が中央ホールの絨毯に転がった。
 金剛棒を担ぎ上げたお暮が傲然とかぐ弥を見下ろす。隣りにお七が並んだ。半壊状態の『くのいち』に、かぐ弥は一人佇んでいた。
「残るはテメエだけだ。覚悟しな」
 二対一。しかも残っているのは、六人衆の中でもトップツーの二人である。いかなかぐ弥とて、勝てる術はないように思えた。
 だがしかし。かぐ弥は笑っていた。
「……運が悪いのう、お主。その体質のこともじゃが……今この時点でも、の」
「……どういう意味ですか?」
 お七が一歩進み出る。己の力には絶対の自信を持っている。空気弾を放つ力であろうと、千本の槍を召還する力であろうと。それらの事如くを退けるだけの能力をお七は備えている。火を操る能力は、それだけ強大なものなのだ。
「わからぬかえ? 雪は、止んだ。止んだのじゃ」
 先ほどまで降り続いていた雪は、確かに止んでいた。そしてかぐ弥の頭上には。
 大きな満月が、顔を出していた。

 深い黒であったかぐ弥の瞳が、今時黄色に輝いた。
 轟音が響き、地が揺れる。倒壊しかけた『くのいち』に止めを刺すが如くに、地表のあちらこちらから無数の竹が伸び、辺り一面を瞬く間に生い茂る竹林へと変貌させた。
「い、いったい何を!」
「知れたことよ。ここは『くのいち』。妾の店じゃ。つまりここは、もとより妾の領域よ」
 口元を扇で隠してころころと笑う。その姿は、全身が輝く黄金色に包まれていた。
「ええい、うっとおしい!」
 お七が炎を凪ぐ。すべてを灰に変える灼熱は、だが黄金の光に弾き返され用を成さない。
「竹が生長の早い植物であることは、存じておろうな」
 忍びが備えているのは肉体能力だけではない。その頭脳には、様々な知識が詰め込まれている。当然様々な動植物に対する知識も、そこに含まれているはずであった。
 驚愕しているお七を無視して、かぐ弥は続けた。
「なよ竹は、七夜竹とも書くことはご存知かえ?」
 鉄扇を開き、頭上へ掲げる。
「二、四、八、十六、三十二、六十四。……七夜で、百二十八」
 上空の月より、鉄扇に光が収束する。百二十八倍に圧縮された月光はそのまま。
 膨大なエネルギー波動となってお七の身体に降り注ぎ、原子レベルで分解消滅させた。
「ちいっ!」
 間、髪を入れずお暮が突進する。周囲の竹からレーザー光線の如くに月光が放射される。
 無数の斜線を驚異的な身体能力でかわし、金剛棒で受ける。お暮の愛棒は無数の穴を穿たれ、手中より溶け落ちた。
「無駄なことよの!」
 鉄扇から再び月光が放たれる。身体を捻ったお暮の肩口から、金色の刃は左腕を裁断した。
 月は、地球上のものではない。お暮の脅しは、届かない。
 それは、お暮が初めて負った傷であった。生まれて初めて経験した、痛みの感情であった。
「ああああああああ!」
 驚異的な精神力で痛みをねじ伏せる。血流が竹林を濡らす。致命傷であった。
「勝負あったのう、お暮」
「そのようだな」
 お暮は天を見上げた。月が憎らしく笑っている。お七、千鶴子、衿座、葉赫那拉、ヴィクトリア。皆、逝ってしまった。自分一人だけ生き残ったとて、何の意味があろう。
「……けどなあ、かぐ弥。テメエら伽羽一族だけは、生かしちゃおかねえ。生かしておいちゃあ、死んでいったアイツらに、申し訳が立たねえ」
 お暮は宙を睨み付けた。
「おい地球。ぶっ殺されたくなかったら……自転を変えろ」
 先ほど以上の地震が竹林を襲った。凄まじい勢いで夜が白みはじめ、月が姿を消してゆく。竹林とかぐ弥の身体からも光が消えてゆく。
「何という馬鹿なことを! そんなことをすれば、この星自体が……」
「どうでもいいさ、後のことなんざ。あたしらの戦いに相応しい舞台になったじゃねえか。さあ……決着を、つけようぜ」
 片腕のお暮が戦闘態勢を取る。かぐ弥も鉄扇を構えた。
「いざ」
「参る」
 竹林の中を影が走った。お暮がドレスより乳をまろび出す。その先端には、乳首の代わりに鋭い牙の生えそろった顎があった。
 牙が届いたのが先か。鉄扇が届いたのが先か。
 目にした者は誰もおらぬ。その瞬間、星は目映い光りに包まれていた。
 爆発的な、最後の輝きのようであった。

 星の行方は、誰も知らぬ。

  1. 2009/03/18(水) 03:56:04|
  2. 茶葉田林太郎
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編集人

Author:茶林小一
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